発心の地

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ひめゆり塔

 

今回数十年ぶりにひめゆりへ訪れた。

建物が新しくなっていた事にも驚かされた。

前回訪ねた時に学生だった私達に体験した話を

体験者の話を拝聴した。その体験は私の10代の経験に大きく記憶されている。

やはり歳月が立ちすぎたのだろう。資料館は現代的なものに変っていたよう思える。

 

細かい部分の見方や感じ方も10代の頃とは変ってきた部分はさておき、

情報の不確かさや集めておいて突然の自己責任「解散命令」を言い渡された時の憤りは私の想像が追い付くものでは無いだろう。

 

敗色濃厚となった1945年6月18日。恐らく何を指示していいかわからなくなった上。指示が降りてこない。勝てると信じていたという背景の元「解散命令」が出され洞窟からだされる事になる。

 

正しい情報と責任者の責任ある指示があれば守れる命はあった。

置かれた立場によって命を落とす事もある。

私はまたこの場所に訪れるだろう。

 

 

 

祭りのあとに

 

 

元旦、那覇空港でチェックインを終えると声をかけられた。

新年のカウントダウンイベントで知り合った方だった。

友人と沖縄で過ごしその友人が帰省した後も、別の友人達と沖縄で過ごし充分な滞在をした私は満足して旅を終えようとしていた。

日常に戻るパワーを充分に蓄えていた。

 

そこで震災を知った。那覇から自宅までニュースを見続けた。

飛行機で、バスで、電車で。

何か自分に出来る事は無いのか。

まだ情報が無い。

いつも通り過ごす事なのだろうか。

Xでは様々な意見が飛び交う。

「被災地でクラスターにならないようにマスクを」

「震災だから万博を中止」

原発もういらない」

わからない。まだ何も判断出来ないのだから。

箱根駅伝も中止」

なんていうものもあった。

震災を理由に個人のイデオロギーを発信している様な気がしないでもないが。

命を優先した発信や優先順位の高い情報しか見ないように努めた。

私は情報を吟味しながら情報収集を続けた。

 

 

電子マネーやカードで普段生活している事は改めていかないといけない。

私に出来る事は今この瞬間を大事に普段通り生きる事。

必要時に寄付をする事。

それが今の私の結論だ。

 

年明け早々に悲しい事が続き非常に悲しいです。

心よりお悔やみ申し上げます。